私はこの11月で80歳を迎えた。「80歳」という年齢だが、我ながら「信じられない」というか、「ついに」というか……。どの集まりに出かけても、ほぼ最年長者。例外は、地元の視覚障害者協会の月例会に参加するときくらいのものだ。ここでは会員のほとんどがシルバーなのに、「シルバー部」なるものがあるから不思議だ。

 私は、「自分が生きてきた年数の2倍分の年数を遡(さかのぼ)ると、どんな時代になるか」ということを時々考えてきた。40歳のときの80年前は日露戦争の1年前だった。そして、今から160年前の1863年、つまり文久3年はリンカーンが奴隷解放に署名した年であり、そのわずか10年前は黒船来航の年だった。何と長く生きてきたものだと思うと同時に、とんでもなく遠い歴史上の出来事だと思っていた黒船来航も、たいした昔ではないように思えてくるから不思議だ。

 9年前に旅立った夫も、生きていれば80歳になる。「秋雨に 相々傘(あいあいがさ)の 傘寿かな」。私の願望を込めた一句だ。

 夫が亡くなったとき、一緒に暮らさないかと子供たちが言ってくれたが、私は断った。夫との日々の延長線上で生きていたかったからだ。終(つい)の住処(すみか)と決めたこの家で。

 私のような無神論者でも、40年以上を共に暮らした人が、「死」の瞬間から「無」になるとは思えなかったのだ。いや、思いたくなかったのだ。

 今、日の入りを告げるオルゴールの「夕焼け小焼け」が風に乗って窓から入ってきた。何度となく夫と一緒に聞いてきたが、いつしか、最初の一音を聞いただけで無数の喜怒哀楽がよみがえるようになった。オルゴールは、あちこちに木霊(こだま)しながら枝分かれしていく。互いにもつれ合い、あるものは不協和音となって消えていく。また、あるものは減衰しながらも空高く上っていく。

 子供がフィアンセを連れてきた日のオルゴール。東日本大震災で、夫と連絡が取れなくなったときのオルゴール。無事に孫が生まれた日のオルゴール。長く続いた夫の闘病中に聞いたオルゴール・・・。

 毎日のように聞いている同じ音楽なのに、楽しかったことや懐かしいことばかり思い出すときと、辛かったことや後悔の念ばかりが溢(あふ)れてくるときとがある。もうそろそろネガティブな感傷からは卒業しなければと思う。そして、9年前からそのままになっている部屋の中も少しずつ片付けて、新たな気持ちで残りの日々を過ごせたらと思っている。

 今年に入ってから、毎朝、子供たちに電話するようにしている。といっても、話はせずに、着信履歴だけを残してすぐに切る。「今日も元気だよ」というサインだ。

 「子供と一緒に暮らせばいいのに」と心配してくれる人たちがいる。けれど、心身が元気なうちは夫との日々の延長線上で生きていきたいという気持ちに変わりはない。辛かったことや後悔の念は忘れ、楽しかったことだけを糧に生きていきたいと思う。

 「私は何歳まで生きられますか?」と、チャットGPTに聞いてみた。「健康状態や生活習慣などによって異なりますが、平均的には、女性で約87歳、男性で約81歳とされています。しかし、将来を予測することはできませんので、健康に気をつけて充実した人生を送ることが大切です」。まさに仰せのとおりだ。10年後には、年齢の2倍の年を遡ると、めでたく黒船来航の年になるのだが・・・。

 

毎日新聞社発行「点字毎日」(活字版および点字半)に連載中エッセイより