四十数年前のあのときのことを、今でも時々思い出す。初めのうちは微かな痛みとともに思い出していたが、やがて、貴重な体験ができてよかったと思えるようになった。

 その日、幼い子供たちを連れて、一家4人でハイキングに出かけた。野山は花の香りと野鳥のさえずりで溢れ、子供たちも上機嫌で遊び回った。

 私と娘は、クローバーの花で首飾りを作ることに夢中だった。クローバーの絨毯の上に座り、幼い頃に母から教わった首飾りの作り方を思い出しながら、娘に教えた。「みっちゃんや、さっちゃんにもあげようね」と言いながら、長い長い首飾りをいくつも作った。この、いくら長くても途中で外れてしまうことのない作り方を、母は祖母から教わったと言っていた。同じ作り方が4代にわたって引き継がれたと思うと、ほのぼのとした感慨に浸ることができた。

 夫と2人で虫取りに興じていた息子は、捕まえた蝶やバッタを、一つ一つ私に触らせてくれた。

 何という幸せな光景だったことか!全てが輝いていた。ホオジロやオオルリが讃歌を歌い、薫風が駆け抜けていった。

 近くに遊園地があった。そこで乗り物に乗ることになった。子供たちに「お母さんも一緒に行こうよ」と言われたのに、「ちょっと疲れたから休みたい」と言って、私はそれを拒否してしまった。本当は、読みかけのミステリーの続きが気になって仕方なかったのだ。当時のことだから、録音はカセットテープだった。帰りの車の中で聞くつもりだったが、どうにも我慢できなくなっていた。

 遊園地は暑かったので、かなり離れた場所にあったベンチを見つけてもらって、そこで時間を過ごすことにした。すぐ近くに滝があり、大きな音がしていた。私は、すぐにイヤフォンを付け、続きを聴き始めた。ところが、十数分もしないうちに電池が切れてしまった。どうやら、充電していないほうの電池を入れてきたらしい。

 滝の音が、さっきより強くなったように感じられた。滝の音に掻き消されて、他の音はほとんど聞こえない。鳥のさえずりも、木の葉のそよぎも、人の声も・・・。だから、自分が林の中にいるのか広場にいるのか、それすらもわからない。携帯電話もない時代だから、連絡することもできない。「お母さんも一緒に行こうよ」という声が何度も思い出された。せっかく家族で出かけたのに、それを拒否した自分を悔いた。こうなったら、覚悟を決めて耐えるしかない。楽しく遊んでいるであろう子供たちのことを想像しながら待つことにした。幸い、腕時計はあったから、時間の流れだけはわかった。

 例えミステリーは中断されても、滝の音さえなければ、それなりに楽しく過ごせたはずだった。私の好きなバード・リスニングにとって、最適な季節だったのだから。

 ずいぶん長いように感じられたが、みんなが戻ってきたのは90分後だった。

 後に、盲ろうの人たちと交流するようになったとき、この日のことをよく思い出した。

彼らは、突然孤独な状態に置かれたときの対処方法をそれぞれ持っていた。いつでも本が読めるように、常にピンディスプレーを持ち歩く人。以前この連載で紹介した故・榎本悠起枝さんは、「無になりたくない」と言うのが口癖で、いつも編み物をバッグに入れていた。折り紙で新作を考えるのを趣味にしていた故・牧田紀子さんは、色とりどりの折り紙をいつもバッグにしのばせていた。

 わずか90分ではあったが、あのとき、彼らの言う「無」を体験できてよかったと思っている。

 

毎日新聞社発行「点字毎日」(点字版および活字版)に掲載