「新春おめでとうございます」という言葉とともに、宮城道雄の「春の海」がテレビやラジオから流れる。今朝から、もう何度も聞いた。「春の海」は、今では新春を寿ぐための音楽になってしまったようだ。この曲が、数ある邦楽作品の中にあって燦然と輝く名曲であることは誰しも認めるところだろう。それだけに、おせちやカルタ取りや門松のように、年に一度もてはやされ、あとは忘れられてしまうというのは、なんとも残念なことだ。

そう思っているうちに、無性に「春の海」が聴きたくなってきた。そこで、ボリュームをいっぱいに上げて、心ゆくまで「春の海」に浸ってみた。琴やハープやピアノ、そして尺八やフルートやバイオリンやオーケストラなど、いろいろな組み合わせの録音を流しているうちに、不思議な感覚が芽生え始めた。

この曲は、瀬戸内海での印象をもとに作曲されたと言われている。だから、大海原や激しい波や冬の海ではなく、あくまでも穏やかな海を連想させる。本来は和楽器で演奏される曲であるということや、古典的な日本音階である陰旋法が基本になっていることなどから、たいていの人は暗黙のうちに日本の海を連想する。だが、そのような固定観念を捨てて聴いているうちに、時空を越えた様々な海が浮かんできた。特に、ハープとフルートという普遍性のある楽器による演奏では、どことも知れない海が浮かんでくる。

ハープによって奏される寄せては返す波。フルートは、その波と戯れる風であり、降り注ぐ日の光だ。そこは、アフロディーテが今まさに生れようとしているエーゲ海かもしれない。そう思って聴けば、日本の陰旋法もギリシャ旋法の一つであるように感じられてくる。また、南フランスの海岸に思いを馳せれば、バカンスで船遊びに興じる人たちの優雅なさざめきが聞こえてきそうだ。

「ミーシレミラシラミー、ミーシレミラシレミー」という、あの印象的な主題が最後に再び奏されるとき、なんとも言えない安堵感と満足感でいっぱいになる。あれは、どこの国の人が聞こうと、波以外の何物でもありえない気がする。このように普遍性をもった「春の海」が、もっと世界に知られればいいのにと思う。

いや、それよりも、この曲をすぐにでも聞かせたい人がいる。それは、江戸中期の俳人・与謝蕪村だ。「春の海」を聞くと、たいていの人が蕪村の名句「春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな」を思い浮かべることだろう。宮城がこの句にヒントを得て作曲したかどうかはわからない。しかし、蕪村がこの曲を聞けば大感激するに違いない。自分の句が音楽に姿を変えて現れたことに驚くだろう。同じ感性を持った二人があの世で出会い、心ゆくまで語り合ってほしいと思う。

宮城は、江戸時代から引き継がれた邦楽に西洋音楽の手法を取り入れることで、邦楽界に新風を吹き込んだ。蕪村も同じだった。侘びや枯淡を主流とする芭蕉以来の俳諧に、西洋風とも言えるリリシズムと明るさを持ち込んだ。しかも、鎖国真っ直中だったというのに。しかし、当時はほとんど認められることなく、不遇のまま亡くなった。

ここに、蕪村の春の句から、私の好きな句をいくつか挙げておきたい。

「橋なくて 日暮れんとする 春の水」「春雨や 人住んで煙 壁を洩る」「菜の花や 昼ひとしきり 海の音」「行く春や 逡巡として 遅桜」「これきりに 径(こみち)尽きたり 芹の中」「骨拾ふ 人に親しき 菫かな」「春雨や 暮れなんとして 今日も有り」

 

毎日新聞社発行 「点字毎日」(点字版 活字版)に掲載