その日、私は人通りの途絶えた昼下がりの道を、白杖をつきながら駅から我が家へと向かっていた。よく慣れた道なので、かなりの速さでスイスイと歩いていた。雨上がりの風は心地よく、軽やかな小鳥のさえずりと青葉の香りに、歌でも口ずさみたい気分だった。

 突然、白杖に何かが当たったと思ったら、ガチャーンという自転車の倒れる音がした。「しょうがないなあ。こんな通り道の真ん中に自転車なんか置いて」と心の中でつぶやきながら、倒した自転車を起こそうともせずに通り過ぎようとした。そして、いつものように、そんな自分への一抹の罪悪感を吹っ切ろうとした。こんなところに自転車を置くほうがいけないのだと。

 だが、その直後、何かがガラガラと転がり出す音がした。引き返してみると、足先に軟らかなものが当たった。それはランドセルだった。地面には、鉛筆や筆箱や教科書が散乱していた。私は、はっとしてそれらを拾い集めランドセルに戻した。水溜りに落ちたものはハンカチで拭いた。まだ拾い残していないかと這いずり回って捜した。そうやっているうちに涙が出そうになってきた。この自転車の持ち主と娘とを重ね合わせていたからだ。

 娘は、数ヶ月前に小学校へ入学したばかりだった。私は、娘の学校生活が楽しいものであるようにと願いながら、イソイソと入学の準備をした。今は亡き実家の母も、喜んで手伝いにきてくれた。母は、ランドセルを買い、文房具1つ1つに名前を書き、上履き入れに名前を刺繍しながら、嬉しそうに孫と話していた。娘も、みんなが祝福してくれていることを全身で感じ取っていたに違いない。

 そんなある日、娘が家に帰ってくるなり、「おばあちゃんに作ってもらったネックレスが … 」と言って泣き崩れた。母に作ってもらって宝物にしていたネックレスが、擦れ違った自転車のハンドルに引っかけられ、壊れてしまったという。娘は長い間泣きじゃくっていた。その声は、私の耳にいつまでも残った。

 この自転車の持ち主も、この春に入学したばかりかもしれない。娘のように、みんなの慈しみを存分に受けながら ・・・ 。その子が、泥で汚れたランドセルや筆箱を見たらどう思うだろう。水溜りに浮いている鉛筆を見たらどう思うだろうか。泣きながら家に帰り、「誰かが私のランドセルをこんなにしちゃった!おばあちゃんが買ってくれた筆箱が壊れちゃった」と泣きじゃくる声が聞こえるような気がした。その声は、あのときの娘の泣き声と重なっていた。さっきまでの楽しい気分はすっかり消えてしまった。

 私は、自転車を起こしてランドセルを乗せた。「ごめんね」を言おうとしばらく待ったが、持ち主は現れなかった。

 確かに、通り道に自転車を放置するのはいけないことだ。まして、視覚障害者のための誘導ブロックの上に放置するのは危険を伴うことでもある。だが、その自転車にはどんな大切な物が乗せてあるか分からない。それに、やむをえず、そこに置くしかない場合だってあるだろう。子供なら、遊びに夢中になれば、どこにだって自転車を置くだろう。

 このことがあって以来、私は、歩いているとき体に自転車が触れると、反射的に自転車を手で押さえるようになった。それが間に合わずに倒してしまったときは、白杖とバッグを地面に置き、自転車を起こし、落ちた荷物があれば拾って乗せた。そんなとき、「誰かが私のランドセルをこんなにしちゃった」と言う声を、無意識のうちに聴いていた。

 たくさんの自転車が1列になって留めてあるときなど、1台を倒したとたん、けたたましい音とともに将棋倒しになることもある。こうなったら、もうお手上げだ。そんなとき、私は「ごめんなさい」と心の中で詫びながら、その場を後にしたものだ。

 

 あれから長い年月が経ち、我が家の子供たちも家を出ていった。子供たちは、もう私が守ってやるべき対象ではなくなった。そして、私はいつしか昔の自分に戻っていた。

 「誰かが私のランドセルをこんなにしちゃった」の声も、今ではすっかり遠ざかってしまった。「しょうがないなあ。こんな通り道の真ん中に自転車なんか置いて」と心の中でつぶやき、倒した自転車をそのままにして通り過ぎる。ちょっとばかりの罪悪感を抱きながら・・・ 。