最近、ヤングケアラーという言葉がしばしば聞かれるようになった。何がきっかけだったのだろうか。ヤングケアラーとは、本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子供のことを言うらしい。政府の実態調査によれば、全国の小学6年生の約15人に一人がこれに該当するとのこと。これを聞いたとき、何十年も前の出来事がよみがえってきた。

あれは、娘が小学校6年生のときだった。ある日、校長から電話があった。「我が校の代表として、お宅の娘さんが表彰されることになったのでお伝えします」。「何のことでしょうか」。「娘さんは、お母さんに代わって家事一切をこなしているとPTA役員から聞いています。それで、北区主催の式典で、善行のあった児童として表彰されることになりました」。「すみません。娘にも聞いてみませんと」。娘が帰るのを待って聞いてみた。「絶対に嫌だよ!味噌汁も作ったことないのに恥ずかしいよ」と泣き出さんばかり。確かにそうだ。家事の手順を教えるのが面倒なので、何も教えてこなかったことを反省した。再び校長から電話が。「すみません。娘がお断りしてほしいと言っていますので」。「それは娘さんの本心かどうか、明日直接聞いてみます。いつも健気に尽くしているのですから、こういうときこそ、いい思いをさせてあげるべきではないでしょうか」。次の朝、娘は教室で校長からの説得を受けたが、彼女が首を縦に振らないため授業が始められず、校長も諦めたとのことだった。

その日、私は盲学校時代の仲間に電話で聞いてみた。すると、驚いたことに、多くが同じような経験をしていたことがわかった。「本人が嫌だと言うから断った」と言う人が大半だったが、中には「うちの子は勉強もスポーツも駄目だから、たまには花を持たせてやりたいと思って応じた」という人もいた。

3年後、再び校長から電話が。新しい校長に変わっていた。今度は息子を表彰したいとのことだった。息子は、いつも私が鶏の空揚げを作っている最中に待ちきれなくなり、私が見えないのをいいことに、油の音がクライマックスに達したときを狙って盗み食いをする常習犯だったから、明くる日、自ら校長室へ行って断ってきた。

あの頃は、今のようなスーパーではなく、八百屋、魚屋、肉屋などが並んでいて、「今日の秋刀魚は新鮮だから刺身にもできるよ」、「このメロンは三日後が食べ頃だよ」、「この桃は完熟だから早く食べたほうがいいよ。安くしておくからね」など、店主と客との楽しいやり取りがあった。子供達も、そんな雰囲気が大好きだったから、買い物にはなるべく連れていくようにした。それを見ていたPTA役員が「全盲の母親の手を引く感心な子供」として校長に伝えたのだろう。私のことをよく知っている近隣の人たち以外のほとんどが、同じように思っていたに違いない。買い物にいっても、散歩をしていても、「お母さんの手を引いて偉いね」と言われ、子供達も困ったに違いない。私が一人で電車に乗って出かけるのを見かけたとしても、それとこれとは別なのだ。

そして、今であれば、当然のように、子供達はヤングケアラーとしてカウントされることだろう。母親の手を引いて買い物に行き、母親に代わって、料理や掃除や洗濯をするヤングケアラーとして。

盲学校時代の仲間の多くが、同じような思いで子育てをしてきたわけだが、これを理不尽だと言って簡単に批判するわけにはいかない。自分が体験したことのない世界について想像することは、誰にとっても難しいことだからだ。それは、私達自身についても言えることなのだ。

 

毎日新聞社発行「点字毎日」(活字版および点字版)に掲載