パソコンを開くと、きょうも『雑木林』が届いていた。これは、盲学校の高校のときの同級生仲間で作るメールマガジンで、雑木林の木のように、のっぽもいれば太っちょもいるというほどの意味で命名された。

第一号の発行からもう一年が過ぎた。編集長のところに二通以上の投稿があった時点で発行することになっているらしく、週に一度くらいのペースで送られてくる。東北から九州まで散らばり、すっかり疎遠になっていた同級生たちが、インターネットのおかげで、半世紀ぶりに一堂に会することになったのだ。

目が見えなくても、音声や点字に変換された文字を頼りに文章を読み書きできる。これも、日夜ソフトの開発に励んでくださっている方々のおかげなのだ。画面が見えないのでマウスが使えないから、操作は全てキーボードで行う。キーボードを打つのは文字通りブラインドタッチだ。かなり老木と化しているメンバーたちだが、若かりし頃の失敗談や笑い話が飛び交う。

A先生が自分のことばかり叱り飛ばしていた理由を、反省も込めて分析する人。自分の初恋の人が、実はB君の今の奥さんであることを告白する人。目の見えない嫁であるということで姑にいびられ続けた過去を、ユーモアを交えて語る人。『雑木林』は、いつも、笑いと涙と懐かしさでいっぱいだ。

一九九五年頃から世の中にインターネットが爆発的に普及し、視覚障害者の多くも、それに乗り遅れまいとしてインターネットを始めた。だが、音声や点字でインターネットからスピーディーに情報を得るには、かなりの修練が必要なので、その頃すでに初老に差し掛かろうとしていた私としては、いまさら面倒なことを始めるのはおっくうだった。

しかし、次第にそうも言っていられなくなり、重い腰を上げたのだった。せっかく生きているうちに開発された素晴らしいものなのに、その恩恵に浴することなく死ぬのはもったいない気がしたのだ。あとで聞いたところによると、同じ頃、『雑木林』の面々も若い人たちに負けじとパソコンと格闘していたのだった。

私のネット検索は、皮肉にも父の病気によって上達することになった。父が亡くなる数か月前、主治医から、栄養を与える方法をどれにするか選ぶように言われた。胃の中にチューブで食べ物を入れる胃ろうという方法が、長生きのためには最善だという。私は、慣れないインターネットで必死に胃ろうについて調べた。あるページにたどりついたとき、そこには花子という十二歳の女の子のことが書かれていた。彼女は一生、胃ろうの生活をしなければならないという。こんなに若いのにと、胸が痛んだ。だが、最後まで読んで、花子が犬だったことが分かった。写真が見えないから気づかなかったのだが、そこは動物病院のページだったのだ。結局、父の胃ろうは行わないことにした。画像が見えなくても、文字だけから類推する力はかなり強くなっているつもりだが、こんな失敗は、私たちにとっては日常茶飯事なのだ。

インターネットとの出会いにより、視覚障害者の生活は革命的に変わった。そして、私にとっては愛すべき同級生たちとの再会にも繋がった。週に一度、『雑木林』での森林浴で心身をリフレッシュさせたあとは、なんだか優しい気持ちになれるのだ。

将来への不安を抱えつつ、最も多感な時期を共に過ごした仲間たちだが、今や当時のわだかまりや嫉妬や誤解は色あせ、互いに励ましあったり忠告しあったりする、いい関係になった。障害者として、社会人として、また家庭人として生きてきた日々を懐古しつつ、「いろいろあったけど、まずまず幸せな人生だった。この先も無事に年輪を重ねていきたい」との暗黙の思いが、きょうも『雑木林』の仲間たちの文章ににじみ出ている。