あの夜、私たち家族4人はホスピス病棟の一室で身を寄せあっていた。2年間、家で闘病生活を送ってきた夫との、最後の夜だった。私や娘や息子が話しかけると、夫ははっきりした声で応えてくれた。
「これまでありがとう、感謝してるよ」、「うん、みんなのおかげでいい人生だったよ」、「いい仕事ができて、よかったね」、「うん、満足してるよ」。
目の見えない私は、声だけから夫の表情を読み取ろうと、必死で話しかけた。夫は、私が何か言う度に、「分かったよ」とでも言うように、私の頭を撫でた。
そのとき、看護師が部屋に入ってきて、「もう少し小さい声でお願いします。他の患者さんの迷惑になりますから」と言って出ていった。私たちは、それを無視して話し続けた。これまでの人生の中で最も大事な会話をしているのだから、このくらいは許してくれるべきだと思った。
夫の耳が少し遠くなったのか、反応が鈍くなってきたので、私たちの声はさらに大きくなった。再び看護師が来て同じことを言った。その声は少しきつくなっていた。それでも、私たちは同じ調子で話し続けた。
その1週間前、痛みと呼吸困難が強くなり、ホスピスへの入院を決めたのだった。病院からの車が到着し、車椅子に乗った夫が家の玄関を出ていこうとしたとき、これでもうこの家に帰ってくることはないのだと思った私は、思わず車椅子を引き戻しそうになった。
必ず家族の誰かが病室に泊まることにした。誰もいないところで死なせてはならないと思い、昼間も1人にしないようにした。息子は自分の家族のところには帰らず、毎日往復4時間かけて職場から通ってくれた。入院したときは、まさか1週間後に別れがくるとは思っていなかった。私たちは、殺風景な病室の壁のあちこちに家族の写真を飾り、家で使っていた時計を置き、花を飾り、これまでの生活に近い雰囲気を作った。
1週間後の夜、4人そろって病室にいた。11時過ぎた頃、眠っていた夫の息遣いが次第に不規則になった。いよいよ、その時が来たと思った。夫は目を覚まし、4人の会話が始まったのだった。
看護師が入ってくる度に、「もう少し小さい声でお願いします」という言葉は強い口調になっていった。深夜の廊下や病室に、私たちの声が響いているであろうことは想像できた。そして、それを聞いた患者や家族がどう思うだろうかとも考えた。だが、その気持ちはすぐに打ち消された。今このとき、言いたいことも言わず、応えたいことも応えずに終わったとしたら、後悔するに違いないと思ったからだ。看護師が入ってきて注意する度に、怒りさえ覚えた。こんなときくらい、家族だけにしてもらえないかと言いたかった。
夫は、看護師の言葉を気にしたのか、「もう遅いからお前たちも寝なさい」と言った。そして、その数分後、永遠の眠りについた。何とも幕切れの悪い最後になってしまった。
看護師が当直の医師を伴って入ってきたとき、怒りを抑えるのがやっとだった。医師は「0時0分」と書き込んだ。
あれから3年が経った。その間、あの夜のことを時々思い出しては複雑な気持ちになった。まず思ったのは、1人で死なせなくてよかったということだ。また、あのときの看護師への同情も湧いてきた。他の患者からのクレームを受け、仕方なく注意しにきたのかもしれない。そして、私たちの声を聞かされた患者や家族に迷惑をかけたことも事実だろう。やがて自分たちにも訪れるであろう最後のときの光景が、すぐそばで繰り広げられていると知ったら、どんな気持ちになるだろうか。
いったい、他の病院のホスピスはどうなっているのだろう。このようなことは問題になっていないのだろうか。全ての部屋を防音にするわけにはいかないのだろうか。せめて、臨終の近い患者だけでも、防音の部屋に移すことはできないのだろうか。そんなことを考えたこともあった。
だが、今の私にとっては、もうどうでもいいことだ。家族そろって最後を迎えられたことに感謝するのみである。
2017年10月 記す