親戚の葬儀でのこと、読経が始まるや、5歳になる孫が言った。「おじちゃんの骨、焼いたらみんなで食べるの?」。聞くのは怖いけど、どうしても聞かずにいられないというふうだった。彼女にとって、骨とか焼くとか言えば、チキンや魚しか思い浮かばないのだろう。「みんなで拾うんだよ」、「拾ったらどうするの?」、「拾ったら箱に入れるんだよ」。周りのそんな説明には納得しない。「箱に入れてから、みんなで食べるの?」、「食べないでお墓に入れるんだよ」、「じゃあ、どうして焼くの?」。

朝から黒い服を着た人たちばかりが集まり、神妙な様子で話し、何を聞いてもまともに相手にしてくれない。だから、この後、これまでに経験したこともない恐ろしいことが待っているに違いないと思ったのだろう。火葬が終わるまでの長い時間、彼女は小さな胸を痛め続け、ガラス細工のような幼心は今にも割れようとしていたことだろう。だが、恐れていたことは起こらず、葬儀が無事に終わると、「おじちゃんは雲に乗って天国に行ったんだよね」と、空を仰ぎながら、安心したように繰り返していた。そのとき、私は自分が5歳だった頃の出来事を思い出していた。

その頃、鳥取県の小さな海辺の町に住んでいたのだが、私がいずれ失明することを知っていた両親は、今のうちにいろいろなものを見せてやりたいと思ったのか、あちこちに連れていってくれた。その日は朝からよく晴れていた。二人乗りの釣り舟を借りて、父と二人で初めての釣りに出かけた。そこは湖と言ってもいいほどの小さな入り江だった。海も空も穏やかで、朝日に照らされた対岸の林は夏に向かって緑を深めようとしていた。水面は、深さによって微妙に色を変えた。銀色の小さな魚が釣り上げられるたびに虹色のしぶきが上がり、水面には白い細波が広がった。その目映い光景に狂喜する私を見る父の胸中を、私は知る由もなかった。

突然、空が雲に覆われ、水面は青から灰色に変わり、舟は波と風に揺れ始めた。「これが嵐というものに違いない」と私は直感した。そのとき、私は父に読んでもらった童話のことを思い出していた。一人で舟に乗って出かけた少年が、突然の嵐に遭って死んでしまうという物語だった。それを読んでもらって以来、私には、海で嵐に遭えば死ぬのだという思いが植えつけられた。泣きそうになりながら、父に「死ぬの?」と何度も聞いたが、父はその度に「大丈夫だよ」と、笑いながら答えた。本当は死ぬことが分かっているのに、私を黙らせようとして嘘を言っているのだと思った。本当は焼いた骨を食べることになっているのに、いくら聞いても答えてもらえずに泣きそうになっていた孫の姿は、このときの私の姿と重なる。

風はすぐにやみ、太陽も空も海も、元通りの輝きを取り戻した。心からほっとした私は、孫がそうしたように、「晴れてよかったね」と、空を仰ぎながら繰り返していた。

大人にとっては何でもないことが、幼い子にとっては途方もなく恐ろしいことだったりする。誰にでもそんなことの一つや二つはあったはず。今なら笑って話せることが・・・。

だが、私の失明に至る道は、その逆の経過をたどった。両親は、私が失明しても困らないように仕付けようとしたのか、また、そのときになってショックを受けないようにと思ったのか、いずれ失明することを時々私に語り聞かせていた。しかし、幼い私には、その重大性が分からず、両親の言葉を他人事のようにただただ聞き流していたのだった。

それから程なくして、それは現実のものとなった。

 

毎日新聞社発行 「点字毎日」(点字版 活字版)に掲載