辺りが静まった夜更け、私は、我が家のベランダに出て花がら摘みをする。枯れた花や葉っぱを摘み取ることで、新しい花が咲きやすくなるのだ。猫の髭ほどのベランダに、50種類ほどの植物が寄せ植えやハンギングにしてある。枯れたところに指が触れると、カサッという乾いた音がするので、それと分かる。全盲の私にとって、この微かな音をキャッチするには昼間より深夜のほうがいいのだ。雨上がりで花や葉っぱがぬれていると、この音はしない。湿度の低い静かな夜なら、直径3ミリくらいの枯れた花も、「ここにいるよ」とささやいてくれる。月に2回ほどのこの作業は、私にとってちょっとした非日常のひと時なのだ。できるだけ雑念を捨て、ひたすら作業を続ける。こんな心境で、再び花がら摘みができるようになったのは今から1年ほど前のことで、夫が亡くなって1年が過ぎようとする5月のことだった。

私が、ベランダ園芸の真似事を始めたのは二十数年前だった。買ってきた苗や種を植え、水や肥料や日当たりのことなどを少しずつ覚えながら世話をした。その頃住んでいた集合住宅の中で、我が家は最も目立つ場所にあった。住宅の敷地内に入ると最初に現れる棟の一番手前の1階で、しかもベランダには、壁でなく柵しかなかったから、私の素人園芸は周囲から丸見え状態だった。果たして、みんながどれほど注目していたのか分からないが、私はせっせと植物たちの世話をした。水や肥料のやりすぎで枯らしてしまったものも数知れないが、「お宅のハイビスカス、見事ですね」、とか、「去年のニチニチソウが冬越ししたんですね」などと煽てられると、さらに美しくしたいと思うようになった。それは、自分の楽しみのためでもあり、近所の人たちや家族に喜んでもらいたい、褒められたいとの気持ちからでもあった。

やがて、娘が家を出てゆき、数年後に息子も出てゆき、夫と二人だけになった。そして、現在のマンションに引っ越した。我が家は3階にあり、目の前は公園、ベランダは高さ120センチの壁で覆われており、隣のベランダとの間には目隠しの壁があるので、ベランダの植物は周囲から見られることもなく、喜んでもらえるのは夫と、たまの来客だけになった。それでも、相変わらず素人園芸は続けていた。

季節ごとに、二人で近くの園芸店に苗や種を買いにいった。1年で枯れるものもあれば、越冬して何年も持つものもある。子供たちからの母の日のプレゼントも、花の苗が多かった。そんなわけで、ベランダはミニジャングルと化し、物干し竿はハンギングに占領され、洗濯物は片隅に追いやられていった。

今から10年ほど前に、100円で買った10センチくらいのエンジェルトランペットの苗は、数年で天井に届くほど伸び、毎年、12月の初め頃に天辺を切らなければならない。春と初秋と晩秋の3回、大輪の黄色い花を枝もたわわに咲かせる。夜も昼も咲いているのに、不思議なことに夕暮れから未明にかけてだけ妖艶な香りを漂わせる。他の花は外から見えなくても、これだけは徒歩5分ほどの最寄の駅ホームからはっきり見ることができる。台風が来る度に、折れてしまわないかと気にかかる。

4月の末になると必ず買いにいくのがバジルの苗だ。10本ほど買って、プランターに植え、窓際に置く。その香りは、例えようもないほど、すがすがしく気高く優しい。香りが風に乗って窓から入ってくると、地中海に近いバジル畑にいるような気分になる。毎朝、まさに取れ立てのバジルを、入れ立てのコーヒーと焼き立てのトーストと一緒に楽しむ。その香りは、スーパーやレストランのバジルなどとは比べようもない素晴らしさだ。

今から4年前、夫は不治の病を宣告され、闘病生活に入った。ベランダを見て喜んでくれる人がいずれいなくなると思うと、植物の世話をするのがつらくなっていった。かといって、荒れ果てたベランダを見せるわけにはいかない。次第に、夫は病床につく時間が多くなっていった。私は、きれいに咲いている花を病床からよく見える場所に置くようにした。亡くなる頃に見事に咲いていたのは、娘がくれた真っ赤な大輪のアマリリスだった。その花が終わってすぐに、夫も旅立った。

喜んでくれる人がいなくなり、植物の世話をする気力も次第になくなっていった。ベランダに出るだけでつらい気分になった。いっそのこと、植物を処分してしまおうとも思った。

ところが、亡くなって3ヶ月ほど経った秋のお彼岸に、アマリリスが再び咲いたのだ。それまで、5月から6月にかけてしか咲かなかったのにである。単なる狂い咲きにすぎないとは思いつつも、不思議な気持ちに打たれた。

しかし、その後、植物たちは次第に枯れ、ベランダは寂しくなっていった。けれど、全部を処分してしまう気にはなれなかった。そんな中、次の年の5月、またアマリリスが咲いてくれた。もちろん、もう秋のお彼岸に咲くことはなかった。そして、気がつくと、私は再び植物の世話に勤しんでいた。バジル香る朝食も、1年ぶりで再開した。

夜更けの花がら摘みも復活した。何も考えずに、ただ植物たちと向かい合う。初夏には、遠くの荒川土手で真夜中まで騒ぐオオヨシキリの声が聞こえてくる。真夏には、前の公園の茂みから、ユーモラスなセミの寝言が聞こえる。夏から秋にかけては、草むらの虫の音が美しい。冬は、指の感覚がなくなるので、花がら摘みは休む。この作業は、私にとって最も穏やかな心境でいられるひと時かもしれない。

2016年8月 記す

 

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