あれは、遥か昔のある晩のことだった。
「お客さん、着きましたよ」。「え、ここはどこ」。熟睡から覚めた私は、慌てて記憶の糸をたどった。
そうだ、今夜は池袋で盲学校の同窓会の新年会があり、かなり酔いのまわっていた私をみんなが無理やりタクシーに押し込んだのだった。
「大丈夫、電車で帰れるから」と言い張る私に、「無茶を言うもんじゃない。ホームから落ちても知らないからね。だいいち、もうとっくに電車なんか終わってるよ」などと言いつつ、ドアを閉めたのだった。
タクシーに乗り込むと、私は我が家への地図をバッグから取り出して運転手さんに渡した。「停車位置の印が書いてある所で降ろしてください」と言ったところまでは覚えている。その直後に、私は暖房の効いた車内で眠りに落ちたのだろう。
「ここは、停車位置の印が書いてある所ですよね。山口運送の前で間違いないですよね」と念を押してから、料金を払うと、「暗いから気をつけて」と運転手さんが言った。「目の見えない私には暗くても関係ないんだけど」と心の中で笑いながらタクシーを降りた。
その瞬間、息も止まりそうな寒さに襲われた。山口運送から我が家までは20メートルほどだ。私は、凍えそうになりながら急いで歩き始めた。だが …、どうも様子がおかしい。いつもの道とは違う。わずかに傾斜しているはずなのに、どこまで行っても平坦なのだ。いったい、どこで降ろされたのだろう。もしかしたら、ちゃんと停車位置で下ろしてもらったのに、酔いのせいで歩き出す方向を間違えたのかもしれない。道の両脇には、冷たくて背の高いコンクリートが続いている。手が凍えて、何度も白杖が地面に転がった。だんだん不安になってきた。携帯電話などなかった頃だから、もうとっくに寝ているであろう夫や子供に連絡もできない。このまま凍え死ぬのだろうか。
耳を澄ましてみたが、手掛かりになるような物音もしない。それもそのはず、真冬の深夜、しかもお正月ときているから、葉を落とした木は葉ずれの音も立てず、人々は暮れから田舎にでも帰っているらしく、生活音も漏れてこず、車の音もしない。
それまでにも、終電を降りてから家にたどり着くまでの道で、深夜に迷ったことは何度かあるが、あまり不安を感じたことはなかった。どうせ、すぐに帰れるという確信があったからだ。手掛かりになる音もたくさんあったし、遠くに聞こえる車の音を頼りに通りに出れば、例え深夜でも誰かしら歩いていて、道を聞くこともできる。ときには、非日常的な「深夜の独り散歩」を楽しみながらさまようことさえあった。
ジンチョウゲの咲く頃には、どの道を行っても、その香りに誘惑され、もう少しさまよっていたいと思ったりする。虫しぐれの季節には、虫たちが、草むらのある場所や、その広さや形、そして道との境目を、まるで音の地図でも描くように教えてくれる。ちょっと風でも吹けば、葉っぱが揺れる音で、木や草が立体地図を描く。
もちろん、昼間のほうが、はるかに様々な音に満ち、しかもその音は活発に動いている。それに比べ、深夜の音は密やかで、種類も動きも少ない。だからこそ、かえってそれらの音風景は、昼間よりくっきりしたシルエットを描くのだ。そして、今この風景を味わっているのは私一人だと思うと、益々その風景は魅力的なものに感じられてくる。深夜に道に迷えば、確かに一抹の不安は覚えるが、その不安が加わることで深夜の独り散歩に、 かえってワクワク感が加わるのかもしれない。
だが、今は真冬の深夜、風ひとつなく、凍りついた大気は何の音も何の匂いも運んではこない。「暗いから気をつけて」と運転手さんが言ったのは本当だった。音も匂いも、全て闇に飲み込まれてしまったようで、生活の多くを音や匂いに頼っている私にとっては真の闇になってしまった。
道は何度も曲がり、迷路に入ったようだった。このまま朝までさまよっていたら、本当に凍え死ぬかもしれない。
ふと、こんな話を思い出した。雨水の溜まった桶の縁を、1匹の毛虫が這っていた。昼間も夕方も、夜になっても、ぐるぐると這い続けていた。そして、朝になると、毛虫は水に落ちて死んでいたというのだ。いったい毛虫はどこへ行こうとしていたのだろう。永久に終わらない道であることなど知る由もなく、目的の場所に向かって一途に這い続けていたのかもしれない。この話は、気色悪い毛虫のイメージと、メビウスの輪に迷い込むような不快な連想とで、私の記憶の底に染みのように残り、何かの折に時々表面に現れてくることがある。こんなときに、なにもこんな嫌な話を思い出さなくたっていいのに、まだ酔いが残っているせいなのだろうか。
ここは東京23区、山奥の樹海などではない。こんな所で死んで、明日の新聞にでも載ったら、「笑うに笑えぬ前代未聞の話」として語り継がれることになるかもしれない。
そう、大きな声で助けを呼べば済むことなのだ。誰か1人くらいは聞きつけてくれるだろう。まさか「私の家はどこでしょうか」なんて叫ぶわけにもいかない。でも、死ぬくらいだったら、恥ずかしいなんて言っている場合ではない。「助けてえ」、「泥棒」、「火事です」 ・・・と何でもいい。でも、やっぱり声を出す勇気はない。
叫ぶのが嫌なら、ローレライ気取りで歌でも歌おうか。だが、ライン川のほとりならともかく、こんな所で歌なんか歌ったら、人を引き付けるどころか、酔っ払いと間違えられるだけだ。いや、かなり覚めているとはいえ、酔っ払いには違いないのだが。それに、全身が震えて、息をするのもやっとの寒さの中では、歌なんか歌えるはずもない。
結局のところ、こんなことで死ぬわけがないという確信のようなものがあったからこそ、声を出すのを躊躇したのだ。
どのくらいさまよっただろうか。どこか遠くのほうで、かすかな音がしているのに気づいた。無音の中のかすかな音、それは、まさに闇の中の光明だった。連続した低音は、駐車中の車のエンジンに違いなかった。
「すみません」と言いながら、私は車の窓をノックした。何度も試みたが反応がない。無人の車なのだろうか。それなら持ち主が戻ってくるまで待つことにしよう。
突然ドアが開いた。よほど驚いたのか、相手は無言のままだ。私は、手短に事情を告げ、私の家を捜してもらえないだろうかと頼んだ。車の中からは、若い男性と女性がヒソヒソと相談する声が聞こえる。やがて男性が出てきてくれた。
「この辺に山口運送というのはないでしょうか」。女性も出てきて、2人で手分けして捜し始めた。間もなく「ありましたあ」と言って、2人は戻ってきた。なんと、それは車から数メートルと離れていない所にあった。
とんだ邪魔者が現れたうえに、いきなり寒さの中に引っ張り出された彼らには、気の毒なことをしてしまったものだ。私は、遠ざかっていく車に頭を下げた。
忍び足で家に入ると、私の遅い帰宅に慣れっこになっている家族が平和な寝息を立てていた。
いったい私は、あの毛虫さながら、我が家の周りを何周したのだろう。あの夜の樹海は、都会の一角に現れた蜃気楼だったのかもしれない。
ベスト・エッセイ集2010年版(文藝春秋社)に掲載