あのときの感動は、20年経った今でも色褪せることなくよみがえってくる。

2001年5月、バード・ウォッチング&リスニング旅行と称して、知人数人と英国ケンブリッジ近郊に1週間ほど滞在したときのことだった。その朝も、自然保護区に向かうべくホテルを出た。朝露に濡れたライラックやブルーベルの咲く道を通って街に出ると、ビルの上や街路樹の枝で鳴き交わすブラックバードの大きくて朗らかな声が、人々や車の雑踏にも負けずに響いていた。日本の森にいるクロツグミと同じような歌声だが、こんな都会でさえずるのを聞いたのは初めてだった。ビートルズの「ブラックバード」が重なって聞こえてくるような気がした。他にも、日本のカワラヒワに似たグリーンフィンチや、ミソサザイに似たレンなどが歌っていた。薄曇る初夏の風は冷たかったが、今日はどんな鳥に会えるのかという期待でいっぱいだった。

白樺林の中を進んでいたときのことだった。わずか2メートルほどの所にある枝で、突然、1羽の鳥がさえずり始めた。びっくりするほど大きくて華やかな声だった。どこからか「ナイティンゲイル」というささやき声が聞こえた。そこには、シャッターチャンスを狙う現地のバードウォッチャーたちが待ち構えていたのだ。だが、彼らにとっても、こんなに間近にナイチンゲールの声を聞くのは珍しいことらしく、話し声もシャッター音も聞こえない。私たちも息をするのも忘れて聞き入った。その静寂の中をナイチンゲールの声だけが高らかに響き渡った。コロラトゥーラソプラノにも似た華やかさとともに、そこには、何かに対する感動を人間が必死になって歌い上げているような迫力があった。

例えば、雪国の長い冬が終わり、雪解け水を集めて滔々と流れる川音とともに次々と花が咲くときの感動。突然視力を取り戻した人が青空を仰いだ瞬間の感動。今であれば、「世界中を飛び交う得体の知れない病原体の根絶に成功した」とのニュースが流れたときの感動にも通じるかもしれない。ほとばしる想いが歌い上げられた後に再び静寂が戻ると、聴衆の間に溜息が広がった。

滞在中、たくさんの鳥に出会ったが、その声の多くは日本にいる鳥のどれかに似ていた。だが、これまでにナイチンゲールに似た声を日本で聞いたことはない。

ナイチンゲールの声の録音もいろいろ出回ってはいるが、心を揺さぶられるような力強さと繊細さと輝かしさは、生でなければ得られないように思う。ヨーロッパへ行ったのは、あのときの一度だけだが、偶然にもナイチンゲールに出会えたことをラッキーだと思っている。

ナイチンゲールには、その名のとおり「夜の鳥」というイメージがあり、日本語ではサヨナキドリなどと訳される。実際、月夜、早朝、薄暮などにさえずることが多いらしいが、曇りがちの日中にさえずることもあるという。

ナイチンゲールは、シューベルトをはじめとするドイツ歌曲、特にセレナーデに「ナハティガル」として、しばしば登場する。だが、あのダイナミックな声と、月光の中で愛をささやくセレナーデとは、なんだかミスマッチな気がする。日本の場合、これに当たるのがホトトギスだ。ホトトギスも、昼となく夜となく、はるか遠くまで聞こえる声で情熱的に歌う。そして、平安の昔から、恋の歌の中にしばしば詠まれてきた。おそらく、宵闇や月光の中では、繊細なさえずりよりも、ナイチンゲールやホトトギスのように力強く音楽的なさえずりのほうが、恋心を誘うのかもしれない。

 

毎日新聞社発行「点字毎日」(活字版および点字版)に連載中エッセイより