2年ほど前のことだった。我が家のベランダが突然にぎやかになった。どうやら番(つが)いの鳩(はと)が住み始めたようなのだ。ガラス戸越しにも、その様子が伝わってきた。ここには20年近く住んでいるが、ベランダに鳥が住みついたのは初めてだった。

 様子を窺(うかが)おうと、ガラスを5ミリほど開けて聴いていると、餌を探すために交代で飛び立っているようだった。しかし、私がベランダに出ようとすれば、物凄(すご)い羽音を立てて2羽とも飛び去っていった。やがて、いつのまにか戻ってきて、何事もなかったように睦まじく鳴き交わしている。植木に水をやるためにベランダに出ようものなら、キーキーと叫びながら凄(すさ)まじい勢いで飛んでいった。鳩のこんな大きな声は聴いたことがなかった。

 毎朝、彼らのデュエットで目が覚めた。実に穏やかなデュエットだった。今日一日の仕事について語り合っているようでもあった。「ここの住人がもうすぐ起きてくるから気をつけろ」「わかってる」。私はそれを聴いているうちに、再び眠りに落ちることもあった。

 「このままだと、鳩が下の階の人の洗濯物やベランダを汚すから、何とかしたほうがいい」と助言してくれた人がいた。もっともだと思った。これまで他の住人と何のトラブルもなく暮らしてきたのに、今になって問題を起こすようなことはしたくない。そこで、マンションの管理人にお願いすることにした。すると植木鉢の土の中から、ウズラの玉子(たまご)ほどの大きさの玉子が二つ出てきた。まだ温かかった。鳩には申し訳ないが、玉子と植木鉢を処分してもらった。

 ところが、逃げた彼らはすぐに戻ってきて、相変わらずベランダに住み続けた。そして、卵を探しながら鳴き続けた。これまでの鳴き方とは明らかに違っていた。「どこへ行ったの?」「ごめんね」と言っているようだった。叫ぶような、問いかけるような鳴き方だった。朝のデュエットは消えた。葉っぱの陰や植木鉢の中、さらにはガラス戸の中まで伺(うかが)っているようでもあった。私を恨んでいるに違いない。そう思うと、いたたまれない気分になった。

 10日ほど経(た)って彼らが来なくなったとき、私は心からほっとした。それからしばらくの間は、町中で鳩の声を聞くたびに複雑な思いになった。わずか3週間ほどのご縁ではあったが、鳩の声にあれほどの喜怒哀楽を表現する力があるとは知らなかった。

 特に忘れがたいのは朝のデュエットだ。ガラス1枚の向こうから聞こえてくるベルベットのようなデュエットは、私を半分だけ目覚めさせ、夢と現実とを行ったり来たりさせた。その夢現(ゆめうつつ)の中で、いつまでも聴いていたい究極のデュエットだった。

 公園やお寺などで普通に見られる鳩は土鳩(どばと)という種類の鳩で、声は地味だ。よほどのことがない限り、小さな声でグルグルとつぶやくだけだ。昔の歌に「ぽっぽっぽ 鳩ぽっぽ」で始まる「鳩」というのがある。子供の頃からいつも不思議だった。鳩は「ぽっぽっぽ」なんて鳴かない。いつも「グルグル」とつぶやくだけだ。この歌に出てくる鳩や鳩時計の音が、白子鳩(しらこばと)という種類の鳩であることを知ったのはつい最近のことだ。白子鳩は、今では埼玉県の一部にしか棲息(せいそく)しておらず、天然記念物として保護されているという。昔は鳩といえば白子鳩のことで、日本中にいたという。このことをもっと早く知っていれば、悩まずにすんだのにと思う。インターネットで聴いてみると、白子鳩は「ポッポ ポッポ」とオカリナのような素朴で愛らしい声で鳴く。いつか現地で生の声を聴きたいものだ。

 

毎日新聞社発行 「点字毎日」(点字版 活字版)に掲載