燈(ひ)ともせと云(い)ひつ々出るや秋の暮
この、慈愛と切なさと侘(わび)しさの入り混じった蕪村の俳句に出会ったとき、なぜか言い知れぬ懐かしさが胸をよぎった。私が思うに、蕪村は、早めに燈をともしておくようにと妻に言い残して、ぶらっと散歩にでも出たのだろう。釣瓶落しの秋の暮れ、妻が独り、薄暗がりにいる姿を想像するのが切なかったのかもしれない。蕪村の優しさと、秋の暮れの侘しさが胸に迫ってくる。彼自身も、燈のともった暖かい家に帰ってきたかったに違いない。そこには、寂しがりやで愛すべき蕪村も見えてくる。
それにしても、この懐かしさはいったいどこから来るのだろう。そう考えているうちに、すぐに思い当たった。それは、今は亡き父の言葉だった。私が中学生だった頃のある日、夕方になったら電灯をつけるようにと言い残して、父はどこかに出かけた。その日は家族みんなが出かけていて、私は一人になった。そして、目の見えない私は父の言葉をすっかり忘れ、夜になっても電灯もつけずに夕食の支度をしていた。帰ってきた父は何も言わずに、ぱちっと電灯のスイッチを入れた。暗闇にいる娘を不憫に思ったのだろう。私は、父にそんなふうに思わせてしまったことを申し訳ないと思いつつも、気付かぬふりをして「お帰りなさい」と大きな声で言ったのだった。それまで思い出すこともなかった半世紀前の小さな出来事が、この俳句によって、わずかな痛みとともに懐かしくよみがえったのである。
今、私は、日没の時間が近づくと電灯をつけるのが習慣になっているが、これは帰ってくる夫のためばかりではない。来客があったときに相手がびっくりしないようにするためでもあり、また自分のためでもある。暗闇の中にいる自分の姿を想像するのはあまりいい気がしないからだ。全盲者の多くが、同じような理由でこのようにしているという。
だが、東日本大震災以来、独りでいるときは電灯をつけずにいるという全盲者が増えている。わずかでも節電に協力できるのだから、無駄な明かりはつけないほうがいいということだ。暗闇の中でも、いつものように動いたり家事をしたり、音声パソコンで読んだり書いたりインターネットだってできるのだから、その特技を生かさない手はない、というわけだ。
今、節電のために街の照明が暗くなっているという。とはいっても、私が8歳で失明する前に見たかつての街に比べれば、はるかに明るいに違いない。あの頃は、デパートの店内でさえ隅は薄暗かった。夕方ともなれば路地のあちこちに濃い闇が潜み始め、ちょっとばかりのスリルと不安を抱きながら家路を急ぐ。だから、明るく電灯のともった家に入った瞬間、何とも言えない安堵感と懐かしさでいっぱいになるのだ。家族で夕食を囲む茶の間は電灯の下だけが明るく、部屋の隅では柱時計や人形がぼんやりした明かりの中で侘しげにしていた。これらは、なににもまして私のノスタルジアを呼び起こす光景である。あの頃はまだ、小泉八雲や谷崎潤一郎が愛してやまなかった、陰翳(いんえい)に富む日常が残っていたように思う。この節電を機に、そんな日本的な美意識が復活するのではないだろうか。
究極の陰翳は闇である。一般に、完全に失明している人の日常は闇であると思われているようだ。確かに、物理的には光が届いていないのだから、その意味では闇であると言えるかもしれない。だが、感覚的には目の見える人が想像しているような闇ではないのだ。失明直後は闇であったとしても、いずれ明るくも暗くもない状態に入っていく。明があるからこそ暗があるのであって、常に明がない者にとっては暗もないのだ。だから、失明という言葉は、正しくは失明暗と言うべきかもしれない。
光と色に溢れる世界をもう一度見たいというのは失明者の偽らざる気持だが、それと同時に、ふと闇が恋しくなることもあるのだ。失明者が闇を恋しがると言うと奇異に思われるかもしれないが、失明暗の状態にある者にとっては、もはや体験することのできない、真夜中の森を覆い尽くす闇や、カーテンを閉めて明かりを消した寝室に漂う闇が恋しくなるのだ。
ところで、全盲者が電灯をつけ忘れたための、とんだお騒がせ話は枚挙にいとまがない。旅館の真っ暗な風呂場から、入浴する水音や歌声が聞こえるといって騒ぎになった話。真っ暗なマンションの一室から、バンドの練習をする大音響と話声がするといって、近所に怪しまれたという話。このご時世、いっそのこと「ただいま節電に協力中」の貼り紙でも出しておくのが無難かもしれない。
以前、私が全盲の友人の家に行ったときのこと、夕食に出前を頼むことにした。インターフォンが鳴ったのでドアを開けると、出前を持ってきた人の声がおかしい。幽霊屋敷にでも迷い込んだように恐る恐る小さな声で話す。私たちは大きな声で冗談を言って笑いながらお金を払い、「どうも」と言ってドアを閉めた。入れ違いにドアが開き、「お母さんたち、何やってんだよ。暗闇で食事なんかするんじゃないよ。」と言いながら友人の息子が帰ってきた。事の次第が分かるや、「出前の人は、さぞかし怖い思いをしただろうね。気の毒なことをしてしまったね」と言いながら、3人で大笑いをした。
幼い頃、父にはいろいろ心配をかけたが、今となっては、草葉の陰からこんな私を見て笑ってくれるに違いない。
日経新聞(2011年6月12日)日曜版 朝刊の文化欄に掲載