金子兜太(かねこ・とうた)の俳句に「よく眠る夢の枯野が青むまで」というのがある。松尾芭蕉の辞世の句と言われている「旅に病んで夢は枯れ野をかけ廻る」を意識したものであることは明らかだが、芭蕉の句とは対照的に、兜太の句は慰めと深い慈愛に満ちている。すやすや眠る幼子の無心な寝息も聞こえてきそうだ。数十年前、我が子を亡くして悲嘆に暮れている友達に、兜太のこの句を添えた手紙を送ったことがある。心の枯野が再び芽吹くまで静かに待ってほしいとの願いを込めて。

 芭蕉は、臨終が近づいてもなお、枯野を放浪したいという焦燥に駆られていた。だが、兜太は、芭蕉の枯野を何とかして青ませたかったのかもしれない。枯野をさまよう芭蕉の魂を成仏させるために。そしてまた、こんな想いも込められているような気がする。「いくら枯淡の境地を愛するといっても、人生を終えるときくらいは、できるだけ穏やかな境地に身を置くべきではないか」と。そんな思いが、見事なまでに対照的な句を生み出したのだろう。

 

金子兜太氏から届いた葉書の写真

 

 今、まさに草木が萌え始め、そこここに春の息吹が感じられるようになった。もうじき、一斉に鳥がさえずり始める。野山などに出かけなくても、ちょっと注意しながら歩いていれば、街路樹の枝や公園の植え込みなど街のいたるところで鳥のさえずりが聞かれる。

 「春の使者」といえば、やはり鴬だろう。住宅街を歩いているときなどに突然あの声に出合うと、文句なしに感動してしまう。大きくて美しい声、そして音楽的な起承転結の面白さ。それに、誰が考えたのか法法華経という聞きなしの見事さ。どこを取っても「春の使者」の名にふさわしい。与謝蕪村の句に「うぐひすや家内揃ふて飯時分」というのがある。蕪村の時代でも、家族そろっての朝ご飯は何物にも代えがたい幸せな時間だったのだろう。食卓には柔らかな朝の光が差し込んでいる。そこに、突然鴬の大きな声が聞こえる。家族団欒を祝福しているかのように。何と微笑ましい風景だろう。

我が家の周りでは、毎年3月10日前後に雲雀がさえずり始める。大空高く舞い上がり、何かに取りつかれたように激しくさえずり続ける。そして、日没とともに、そのさえずりはぱったりと終わる。想いを果たせぬまま燃え尽きてしまったかのように。

 街のどこにでもいて、愛らしい声でさえずっているのに、声が小さいためか意外と知られていないのがカワラヒワだ。空中を飛んでいるときは「キリリ・コロロ」と高く細い声でさえずり、枝に止まっているときは「ギーギー」と濁った声でさえずる。朝風の中、カワラヒワの軽やかで控えめな声に出会うと、何とも言えず愛おしくなる。

 ツツジや葉桜の香りとともに、燕やシジュウカラのリズミカルなさえずりが聞かれるようになると、いよいよ初夏の到来だ。燕やシジュウカラのおしゃべりは、街の営みに活気を与えてくれる。車道の両側で鳴き交わしているときなど、「いったい何の相談をしているのかな?」などと思ってしまう。

 芭蕉にとっては、鳥のさえずりや花々や春風よりも、枯れ野の木枯らしの音を聞きながらこの世を旅立つほうがふさわしかったのだろうか。一家団欒の朝ごはんよりも、「隣は何をする人ぞ」と想いつつ孤独に浸るほうがよかったのだろうか。

 「白梅に明ける夜ばかりとなりにけり」。これは蕪村の辞世の句だ。夢のように白々とした夜明け! 蕪村の最後を飾る風景として、これ以上のものがあるだろうか。今日は久しぶりに、蕪村句集の「春の部」を読むことにしよう。

 

毎日新聞社発行「点字毎日」(点字版および活字版)に掲載