突然、何かにつまづき、私は勢いよく前に倒れた。左手首を激しく地面に打ちつけ、激痛が走った。「骨折かもしれない。ついにやってしまった!」との思いが込み上げてきた。

3ヶ月ほど前のその日、私はガードレールの中の道を駅へと向かっていた。この道は、私にとって実に歩きやすく、まるで私のためにあるように思えた。平らで広い道なのに、人と擦れ違うことはほとんどない。駅へ行くには少し遠回りだという理由で、誰も通らないからだ。障害物に遭遇したこともなかった。

右手を伸ばして、その障害物を確かめると、キャリーバッグが倒して置いてあった。私がつまづいたのは、その持ち手のほうだった。本体だったら、高さが10センチ以上はあるから、白杖が感知していたはずだ。それに比べ、持ち手のほうはわずか1・2センチくらいしかない。

私が倒れた瞬間、すぐ横で「大丈夫ですか?」という2人の男性の声がした。痛くて立ち上がれないでいると、2人は両側から起こしてくれた。そして、歩くのもやっとだった私を支えながら、駅まで連れていってくれた。その間も、「大丈夫ですか?」とばかり言っていた。なぜ「すみません」のひと言がないのだろうと思いながら、私は適当に相槌を打っていた。

駅に着いたが、電車に乗って行くのは無理だと思った。かといって、大事な用事なので家に帰るわけにもいかず、駅前のタクシー乗り場まで連れていってもらった。タクシーが発射するまで、ついに「すみません」の言葉はなかった。

私が痛がっているのを見た運転手は、どうしたのかと聞いてきた。事情を話すと、「名前と連絡先は聞きましたか?」と言った。聞かなかったと応えると、車を止めて外を見てくれたが、もう彼らの姿はなかった。彼らのいた場所が車から離れていたので、ドライブレコーダーにも映っていないという。そして、「せめてタクシー代くらいもらっておけばよかったのに」と言った。親切に「病院に行きますか?」とも言ってくれたが、夕方の6時を過ぎていたし、それに、やっぱり集まりに出席したかったので断った。

次の朝、整形外科へ行った。左手首の骨挫傷と診断された。大きなギプスをする生活が1ヶ月ほど続いた。子供たちには心配をかけたくないので、内緒にしたかったが、半月後に娘が来たので、事情を話さざるをえなかった。

ギプスは非常に目立った。例の道を歩く度に、あの犯人たちが、このギプスを見つけ、「ああ、申し訳ないことをしてしまった」と思ってくれることを望んだ。

それにしても、彼らは、なぜ、あんな道の真ん中にキャリーバッグを倒して置いていたのだろう。私は、ふと、初めての海外旅行のことを思い出した。

あちらの空港に着いた直後、パスポートがないことに気づいた。慌てた。このままでは空港を出られず、日本に戻らなければならないかもしれない。一緒に来た人たちを待たせておいて、人がたくさん行き交う場所にキャリーバッグを倒し、衣類や財布や書類などを全て取り出し、床に広げた。パスポートは、キャリーバッグの底のほうにあった。もしかしたら、あの犯人たちも、これから遠くへ行くところで、急に心配になり、キャリーバッグを倒して探し物をしていたのかもしれない。

 

怪我からしばらく経った頃、私は、もしやと思い当たった。彼らは犯人などではなく、たまたまそこにいて、私に親切にしてくれたのかもしれないと。普段、ほとんど人が通らない道なのに、あの障害物のそばに彼らがいたということで、私はすっかり犯人だと思ってしまったのだ。もし、犯人でなかったとしたらどうしよう。親切にしてもらったのに、私はお礼の言葉一つ言わなかった。それどころか、なぜ謝らないのかと思っていたため、ずっと無愛想な態度を取りつづけた。「せっかく親切にしてあげたのに、お 礼も言わず、無愛想で変な人だった」と思われているかもしれない。

「犯人だったら、声なんかかけないよ」と言った人もいた。

あれから4ヶ月経った今でも、手首をある角度に曲げると、まだ痛みがある。手首が痛む度に、その謎のことが頭に浮かんでくる。もはや、このミステリーは迷宮入りしてしまったのだから、1日も早く忘れなければと思う。

 

「もう年だし、危ないから、そろそろ一人歩きはやめたほうがいいんじゃないの?」と、周りの人たちから言われることがある。だが、私は、一人歩きの良さをまだ捨てきれないでいる。街路樹がサワサワと風に鳴り、ヒヨドリやコオロギが鳴く道を一人で歩いていると、孤独感と爽快感の入り混じった感覚に包まれる。この感覚は、ガイドヘルパーさんと一緒では得られないものなのだ。少なくとも、家から駅までの道は、もうしばらく一人で歩きたいと思っている。

2018年7月1日記す