12年前のその日、初秋の朝日が我が家のリビングいっぱいに差し込んでいた。そのリビングで、間もなく私の密かな計画が実行に移されようとしていた。Sさんも夫も、まだまだ起きてはこないだろう。彼らが目覚める前にセレモニーの準備をしなくては。まずは朝食の用意だ。
ヴァイオリニストであるSさんとは、それまでに何度かステージでご一緒させていただいたことがある。私も夫も、以前から彼のファンだった。その音色の温かさ、力強さ、陰影に富む表現、さらに、大らかさと謙虚さを兼ね備えた人柄。それら全てが好ましいものだった。
その前日、私は彼の演奏会を聴きにいった。ステージが始まる前に、彼に尋ねてみた。演奏会が終わったらどうするのかと。「どこかビジネスホテルにでも泊まって、明日(あした)、新幹線で帰ろうと思っている」とのことだった。それを聞いた瞬間、ある計画がひらめいたのだった。「今夜、我が家に泊まっていただき、明日帰るというのはどうでしょうか?」と聞いてみた。「ご迷惑でなければ」とOKしてくれた。そのあと、本来のお願いを口にしようとして躊躇(ちゅうちょ)した。それは、明日の朝、朝食の後で夫と私のために演奏していただけないだろうかとのお願いだった。狭いリビングで、しかも聴衆は二人だけ。さらに、無伴奏でも映える曲でなくてはならない。そんなお願いをするのは失礼なのではないかと思った。断られるかもしれない。でも、今お願いしなければ、もうチャンスはないだろう。思い切ってお願いしてみた。すると快く承諾してくれた。夫には直前まで内緒にしておくことにした。
朝食の仕度(したく)に取り掛かる前に、しばらく使っていなかったコーヒー用の銀のスプーンを磨かなくては。朝日に燦然(さんぜん)と輝くように。次に、ベランダのプランターからバジルの葉を枝ごと摘んできて皿に飾った。取れたてのバジルの香りは、例えようもなくノーブルでエキゾチックで、リビングの空気を一瞬にして鮮やかな緑色に染めたかのようだった。スクランブルエッグ、パプリカとエリンギのバター炒めなどを作りながら、Sさんにリクエストする曲のことを考えた。
バッハの「シャコンヌ」にしようか、それとも彼がアンコールで弾いていたポンセの歌曲「エストレリータ」がいいか。どちらも夫と私のお気に入りだ。無伴奏で弾いていただくことを考えれば、「シャコンヌ」のほうがいいかもしれない。単旋律を縫うようにして奏される重音の磨き抜かれたハーモニー。重厚さと気品を兼ね備えた名曲だ。だが、たとえ彼の得意なレパートリーであっても、食後に演奏していただくには荷が重いかもしれない。それで「エストレリータ」をお願いすることにした。
コーヒーの後、「ではよろしく」という私の合図に続いて、「エストレリータ」が始まった。「あの人が私を愛しているかどうか教えてほしいの。もし知っているなら、ここまで降りてきて教えてほしいの」。小さな星に切々と語りかける歌だ。夫は、思いがけないプレゼントに感動していた。狭いリビングは豊潤な音で満たされた。思わず窓を開けて、ご近所にお裾分けしたいという衝動に駆られたが、すぐに思い留(とど)まった。「3人だけの思い出として、胸に刻んでおこう」と。
実は、夫は数カ月前に不治の病を宣告されていた。だから、これからは二人だけの素晴らしい思い出をたくさん作っておかなければと心に誓ったのだった。それから3年後、夫は旅立っていった。いい思い出をどのくらい共有できたかはわからないが、あのときのエストレリータの輝きは、まだ褪(あ)せていない。
毎日新聞社発行「点字毎日」(点字版および活字版)に掲載