もし、過去からタイムスリップしてきた人がいて、現在の町中の様子を見たとしたら、どう思うだろうか。どこへ行ってもマスクの行列!老若男女を問わずマスクをして、口数も少なく歩いている。だが、そこに悲壮感はなく、ごく普通の日常を送っているように見える。その人はそれを見て、いったい何が起きたのかと戸惑うだろう。

しかし、この異様な光景が今ではすっかり当たり前のものになってしまった。今後、たとえ病原体の猛威は弱まったとしても、もしもの場合に備え、衣服を身につけるのと同じように、マスクをすることが常識になってしまうかもしれない。

全盲の読者なら分かっていただけると思うが、マスクをして外を歩くときの、あの何とも言えないモヤモヤ感。そして、周りに人がいなくなった場所で、ちょっとマスクを外してみた瞬間の、まるで霧が晴れたようなすっきり感。マスク1枚で、こんなにも感じ方に差が出ることに驚く。マスクで耳をふさぐわけでもないのに、明らかに音空間が違ってしまうのだ。なぜこのような現象が起きるのか。

ある人は言う。耳にかけるマスクのゴムのせいではないかと。また、別の人は言う。マスクと顔との間の空間に入り込んだ音が、耳に入る前にマスクに吸収されてしまうからではないかと。さらに、音は耳から直接入るだけでなく、顔の表面からも入り、それが骨伝導で鼓膜に伝わるのだが、マスクで顔の表面を覆ってしまうと、音量や音質や方向が変わってしまうのではないかと言う人。そして、これらの原因が複雑に絡み合うことで、困った状態が起きるのではないかとも言う。

さらに、マスクは音だけでなく、花や緑の香り、街に漂う香りをも弱めてしまう。

私は、家から最寄駅までの慣れた道を、「爽やかな孤独感」に浸りながら歩くのが好きだ。都会の騒音に混じって聞こえる草木の風に鳴る微かな音。街路樹の上で全身を声にして鳴き交わすヒヨドリの声に、空の高さと広さを想う。草むらから遠慮がちに呼びかけてくる野良猫やコオロギの声。道を横切る落葉の音。それらは、季節や時刻や天候によって微妙に変化する。この爽やかな孤独感は、誰かと一緒でなく、一人で歩くからこそ得られるものなのだ。だが、マスクをすることで、音の広がりや方向が不明瞭になり、デリケートな音はキャッチしにくくなった。そうなると、爽やかさや孤独感を味わうことの前に、一人で歩くこと自体、おっくうになってしまうのだ。

最初の頃は、みんなが言うように「化粧をしなくてもいいからマスクは楽だ」くらいに思っていた。こんなことは、どうせすぐに終わるのだからという気持ちもあった。だが、もしマスクをするのが当たり前の世の中になり、一生マスク生活が続くかもしれないと思ったとき、言い知れぬ寂しさを感じた。

盲ろう者で東大教授の福島智(ふくしま・さとし)さんが書かれた文を読んだ。そこには、マスクをすることが盲ろう者にとってどんなに辛いことであるかが書かれていた。特に屋外にいるとき、ちょっとした空気の動きや温度の変化、そして何といっても、漂ってくる香り、それらが重要な情報源になる盲ろう者にとって、マスクをするということは、まさに「無」の世界に置かれるのも同然のことだと言うのだ。

たかが小さな布一枚。その小さな布に、こんなに悩まされることになろうとは!もし、十年後の未来にタイムスリップさせてあげようと言われても、私は断るだろう。そこに、今と同じようにマスクの行列があったとしたら、ショックのあまり、現在に戻る気もなくなってしまいそうだから。

 

毎日新聞社発行「点字毎日」(活字版および点字版)に掲載