機関車が蒸気を吐く音とともに、発車の汽笛が鳴り響いた。「どうしよう。お父ちゃんが戻ってこない」。5歳の私は、恐怖で声も出なかった。このまま自分だけを乗せて汽車が走り出したら、父とは二度と会えなくなるだろう。そして、家にいる母や妹とも。

 汽車がその駅に止まった時、窓の向こうにたくさんの白い花が咲いているのを私はみつけた。今から思えば、マーガレットのような花だったかもしれない。そのころ、わずかに視力のあった私は、白や黄色やオレンジのようにはっきりした色の花を好んでつんでいた。

 「あの花が欲しい」と言うと、発車間際にも関わらず、父は外に駆け出していった。そして、最後の汽笛が鳴ったとたん、私はついに泣き出した。「お父ちゃんごめん。あんなこと頼まなきゃよかった。どうしよう」

 発車寸前になって、駅員に怒鳴られながら父が戻ってきた。その直後、汽車は発車した。父の手には白い花があった。

 やがて失明することのわかっている我が子が、あの花を欲しがっている。何が何でも取ってきてやらなければ。そう思った父は、前後も考えず飛び出していったに違いない。あの強烈な光景は、今も私の脳裏に焼き付いている。

 そのころ、こんなこともあった。父と二人で田舎道を歩いていた時、大きなお屋敷の垣根に白い小さな花が群れて咲いていた。私が、「あの花、きれいだね」というと、「あれは、この前ラジオで歌のおばさんが歌っていたカラタチの花だよ」と父は言った。初めて見るカラタチの花を愛おしそうに撫でている私を見て、父は「少しいただいて行こう」と言いながら数本の枝を折って私にくれた。そのとたん、お屋敷の中からおばあさんが出てきて、「何するんですか!楽しみにしていた花がようやく咲いたというのに」と、ものすごい剣幕で怒鳴った。父は泣きそうになりながら、ひたすら頭を下げ続けていた。

 私が高い木の上に咲いている花を欲しそうにしていれば、父は危険を冒してでも木に登って取ってくれた。

 私は、自分がいずれ完全に見えなくなるということを、周りの大人たちの会話から薄々感じ取っていた。そのためなのか、色だけでも忘れないようにしようという無意識の思いが、私を花への興味に向かわせたのかもしれない。クレヨンや色鉛筆でなく、花だったことは幸いだった。なぜなら、花であれば、たとえ見えなくても楽しむことができるからだ。香りはもちろんのこと、触ることによってもかなり楽しむことができる。父も母も花好きだったこともあり、私は花には詳しい方だと思っている。それには、幼い時に見た花の色の記憶も大いに役立っているように思う。あのころ、「ピンク」などという言葉を聞いたことはなく、みんな「朱鷺(とき)色」と言っていた。

 花が、触って楽しむのに向いている点はいろいろある。まずは、逃げたり動いたりしないということ。そして、一つ一つの花や葉っぱが、手のひらでカバーできるほどの大きさであること。葉っぱや花弁(はなびら)は線対称で、花全体は点対称であることが多いので、その一部を触っただけで瞬時に全体の形が想像できること。そして、枯れた花や葉っぱは触ってわかるだけでなく、カサカサという音を立てて枯れていることを教えてくれるのだ。

 満開の桜並木、菜の花のじゅうたん、群生する彼岸花など、景色としての花については残念ながら想像するしかない。

 私は、毎朝ベランダの花に水をやり、枯れた花や葉をつむ。公園やベランダで花に触れているかぎり、私が色を忘れてしまうことはないだろうと思っている。

 

毎日新聞社発行 「点字毎日」(点字版 活字版)に掲載