「うちの周りでは、夜もカラスが鳴くんです」と言う人がいた。「それは、たぶんカラスじゃなくてゴイサギですよ」と言うと、「ああ、そうなんですか。長年の謎が解けた」と喜ばれた。真夜中に東京のど真ん中で鳴く鳥と言えば、ゴイサギくらいしか考えられない。夜空を1羽だけで飛びながら、「グワッグワッ」と鳴く。私は、初めてこの声を聞いたとき、遠くで犬が鳴いているのかと思った。ゴイサギは、カラスのように2羽で鳴き交わすことはない。「夜の仙人」とも呼ばれ、いつも1羽だけで飛んでいる。

 私はかつて、日本で真夜中に鳴く鳥なんてフクロウくらいしかいないと思っていた。ラジオドラマの夜の場面で「ホッホッ ホッホッ」と鳴くあの鳥だ。しかし、それはフクロウではなく、アオバズクであることを後に知った。フクロウは、低い声で「ゴロッポッポ」と不気味に鳴くが、アオバズクは涼しげなメゾソプラノで鳴く。

 前回のこの欄にも書いたように、以前、私はバード・リスニングと称して、あるときは家族で、またあるときは友達と、春から夏にかけてのシーズンに、鳥の声を聴きに野山に出かけた。この年齢では、なかなかそれも叶わず、今は時々、近くの公園で、昔を懐かしみながら鳥たちのさえずりを聴いている。

 かつては、夜の鳥を聴くために車で真夜中に出かけたり、山麓近くの宿に泊まって仮眠を取ってから出かけたりしたこともある。木から滴る夜露の音も聞こえそうな静けさの中で、コーラスよりもソロを好む孤独な夜の鳥たちのノクターンが迎えてくれる。私たちは、声を潜め、足音を潜めて歩く。よほどのことがないかぎり、懐中電灯を木の上のほうに向けたりしてはいけない。びっくりして鳥が飛び去ったり、地面に落ちたりするからだ。

 木の洞に住むアオバズクの「ホッホッ」というメゾソプラノの溜息は魅惑的だし、フクロウの「ゴロッポッポ」という低音は、神秘的でもあり不気味でもある。「キョッキョッキョッキョッ」というヨタカのいつ果てるともしれない単調なリズムは、まな板の上で野菜を切っているようにも聞こえる。木の少ない谷間で鳴いているからなのか、その声はあちこちに跳ね返り、どこで鳴いているのか判然としない。

 そんなとき、すぐ近くの木からトラツグミの声が聞こえてくると、いやが上にも夜の神秘は深くなる。その声は、濡らした指でワイングラスの縁を擦ったときの、あの繊細な音に似ている。「ヒー」と伸ばした後、すぐにオクターブ上の音を付け加える。その昔、この鳥は「ヌエ」と呼ばれ、正体不明の怪しい生き物として恐れられていたという。この声は、今でも時代劇の夜の場面によく登場するが、その効果は抜群だ。「ヌエの鳴く夜は恐ろしい」という映画のキャッチコピーも思い出される。

 群馬県川場村に行ったときのこと。そこにはトラツグミで有名な森があった。森では、あちこちでトラツグミが鳴いていた。そんなに鳴かれると恐ろしさはどこへやら、むしろユーモラスにさえ聞こえたものだ。手の届きそうな所で鳴いていたのを触ろうとして思わず手を伸ばしてしまい、逃げられたこともあった。

 夜に鳴く鳥として、仏法僧を挙げないわけにはいかない。しかし、これについては何ともややこしい話があるのだ。「ブッポウソウ」と鳴く鳥はコノハズクで、「ギギギ」と鳴く鳥は仏法僧だというのだ。野鳥図鑑にも、そのように載っている。両者は生息環境が重なっているために間違えられたそうなのだ。そのため、コノハズクは「声の仏法僧」、仏法僧は「姿の仏法僧」と言われるとか。しかし、鳥の声を愛する私たちとしては、「ブッポウソウ」と鳴く鳥を仏法僧と呼べばいいのだ。

 やがて、ノクターンの中にジュウイチやホトトギスの声が交じり始めると、夜明けも近いことがわかる。まもなく、朝のコーラスが始まるのだ。

 

毎日新聞社発行「点字毎日」(活字版および点字版)に掲載