ルイ・ブライユの「点字配列表」=「日本点字表記法2018年版」から引用
フランス人、ルイ・ブライユ(Louis Braille, 1809-1852)をご存知だろうか?
点字を、英語ではブレイルという。ブライユの英語読みだ。ブライユは、今世界中で使われている「点字」の考案者で、自身も幼いときから全盲だった。
視覚障害者のための触読できる文字は、昔から世界中で考案されてきたが、ブライユの6点式点字に匹敵するものはなかった。点字は、縦3行、横2列の点の組み合わせを1単位(これを1マスという)とするので、スペースも含め、2の6乗つまり64通りの組み合わせが可能となる。同じ組み合わせの文字でも、英語の中に出てくれば「p」、日本語の中に出てくれば「ね」、点字楽譜の中に出てくれば二分音符の「ミ」、という具合に変わる。詳しいことは分からないが、アラビア語にもヒンドゥー語にも、そして、あらゆる言語に対し、それぞれの点字があるはずだ。
「ルイ・ブライユの点字配列表」と呼ばれているものがある。美しい!素晴らしい!いつ見てもそう思う。そして、次に思うのが点字楽譜のこと。教会のオルガニストだったブライユは、文字や数字よりも、まずは点字楽譜を作りたかったと思われる。この7行からなる配列表では、音符や休符や臨時記号や音列記号が、優先席に順序よく座らされているのだ。音の高さと長さを点字1マスで表す点字楽譜は、五線紙に書く普通の楽譜よりも200年近く前に、すでに楽譜のデジタル化をしていたとも言える。64通りしかない6点の組み合わせを、楽譜や文字や数字や記号にいかに割り当てるか、ブライユは寝ても覚めても考え続け、この美しくも合理的な結果に辿りついたのだ。
パリ近郊のクーブレー村の家で、ひたすら6点と遊び、6点と戦っていた若き日のブライユ。「この6点によって、世界中の視覚障害者に福音をもたらしたい」との夢が、いよいよ確信に近づいたときの喜びはいかばかりだったことか!それはワットやエジソンのような心情だったのか。あるいは、ジェンナーやコッホのような心情だったのか。
この配列表を見ると、点字を目でなく指で読む人への配慮が隅々にまで行き渡っていることを、改めて感じる。それはブライユ自身が点字を指で読む人だったからではないのか。点字を指で左から右へと読んでいくとき、1度に認識できるのは、せいぜい2文字。これが、広い範囲を一度に見渡せる普通文字との大きな違いだ。ブライユの配列表を見ると、この弱点をカバーすることに心血を注いだことが窺える。
今や、ITの進歩により、視覚障害者の読み書き事情も革命的に変わった。点字を紙でなくピンディスプレイに表示させることにより、ペーパーレス化も進んだ。漢字仮名交じりの普通文字も、点字ではなく音声に変換させて、パソコンで読み書きすることが多くなった。私も、今この原稿をパソコンで書いている。
また、「点字離れ」という言葉も飛び交っている。しかし、音声と違って、点字は自分の理解度に合わせて微妙に速度を変えながら読むことのできる唯一の文字なのだ。だから 点字がなくなることは今のところ考えられない。
私は、この年齢になると記憶力の減退には逆らえず、ステージで歌うとき、左右の手のひらに隠れるほどの小さな紙を持つことがある。そこには、歌詞の各行の冒頭の1文字だけが点字で書いてある。以前、共演した初老のバリトン歌手から「僕も点字を覚えて、塩谷さんみたいにしたいんだけど」との切実な相談を受けたことがある。「残念ながら、それはちょっと無理かも」と答えておいた。中年以降に点字の触読を始めた人の場合、実用的に読めるようになるのは非常に難しい。まして、目の見える人の場合、それは不可能に近い。日常的に点字を読む必要に迫られない限り、点字の触読は無理だと思っている。