引き出しに眠っていた「ブライユの点字配列表」を、久しぶりに取り出してみた。素晴らしい!美しい!いつ見ても、そう思う。
そして、次に思うのが点字楽譜のこと。教会のオルガニストだったルイ・ブライユは、文字よりも、まずは点字楽譜を作りたかったに違いない。この7行からなる配列表では、音符や休符や臨時記号や音列記号が、優先席に順序よく座らされているのだ。音の高さと長さを点字1マスで表す点字楽譜は、五線紙に書く普通の楽譜よりも200年近く前に、すでに楽譜のデジタル化をしていたとも言える。スペースも含め64通りしかない6点の組み合わせを、楽譜や文字や数字や記号にいかに割り当てるか、ブライユは寝ても覚めても考え続け、この美しくも合理的な結果に辿りついたのだ。
パリ近郊のクープレー村の家で、ひたすら6点と遊び、6点と戦っていた若き日のブライユ。「この6点によって、世界中の視覚障害者に福音をもたらしたい」との夢が、いよいよ確信に近づいたときの喜びはいかばかりだったことか!それはワットやエジソンのような心情だったのか。あるいは、ジェンナーやコッホのような心情だったのか。
この配列表を見ると、点字を目でなく指で読む人への配慮が隅々にまで行き渡っていることを、改めて感じる。それはブライユ自身が点字を指で読む人だったからではないのか。点字を指で左から右へと読んでいくとき、1度に認識できるのは、せいぜい2文字。これが、広い範囲を一度に見渡せる普通文字との大きな違いだ。ブライユの配列表を見ると、この弱点をカバーすることに心血を注いだことが窺える。
日本における盲導犬の父と言われる塩屋賢一氏は、視覚障害者の生活を身をもって体験するために、アイマスクをしたまま1ヶ月を過ごしたそうだ。その後、アイマスクをして盲導犬と街を歩くことにより、視覚を使わずに犬とコミュニケーションをとったり、周りの様子を把握したりする体験をしたとのこと。
昨今、視覚障害者の生活を便利にするためのアイテムが、次々と開発されている。歩行補助具や触る模型や触地図など、多種多様だ。それはありがたいことではあるのだが、残念ながら、あまり使われないまま消えていったものも多い。それらは思いつきばかりが先に立ち、視覚障害者の実生活にそぐわないことが多いからだ。ブライユや塩屋氏のように、当事者に成りきってアイディアを実現させていただきたいと思う。
今やITの進歩により、視覚障害者の読み書き事情も革命的に変わった。「点字離れ」という言葉も飛び交っている。しかし、音声と違って、点字は自分の理解度に合わせて微妙に速度を変えながら読むことができる。だから、点字がなくなることは今のところ考えられない。
中年以降に点字の触読を始めた人の場合、残念ながら、実用的に使いこなすのは難しい。私は、この年齢になると記憶力の減退には逆らえず、ステージで歌うとき、左右の手のひらに隠れるほどの小さな紙を持つことがある。そこには、歌詞の各行の冒頭の1文字が点字で書いてある。ドレスの色に合わせてカラーペーパーを使うこともある。聴衆の中には、それをハンカチだと思う人もいるようだ。以前、共演した初老のバリトン歌手から「僕も点字を覚えて、塩谷さんみたいにしたいんだけど」との相談を受けたことがある。「残念ながら、今からではそれはちょっと無理かも」と答えておいたが、やってみる価値はあったのではないかと、ちょっぴり後悔している。
ルイ・ブライユの「点字配列表」=「日本点字表記法2018年版」から引用
毎日新聞社発行「点字毎日」(活字版および点字版)に掲載