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おんなの選択 全盲のソプラノ歌手・塩谷靖子さん

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仕事と子育て
おんなの選択
ひるまえほっと
東京
2017年7月19日

今回ご紹介するのは、ソプラノ歌手の塩谷靖子(しおのやのぶこ)さんです。
塩谷さんは生まれつき視力が弱く、8歳の時に失明しました。
昔から歌が好きだったんですが、実際に歌を習い始めたのは42歳の時。
そしてコンクールに入賞し、舞台に立つようになったのは、50代になってからです。
これまで挑戦し続けてきた塩谷さんの“おんなの選択”に迫ります。

■年間20ステージをこなす73歳の人気歌手

塩谷靖子さん、73歳。
これまでに2枚のCDを出し、年間20ステージをこなす人気のソプラノ歌手です。

客席は中高年のファンでいっぱいです。

■家事は自分で「1人暮らしをエンジョイしたい」

塩谷さんは、いま都内で1人暮らしをしています。
目が不自由な人専用の機械で小説を聞きながら、ごはんを食べるのが日課。
炊事、洗濯、買い物など、すべて1人でこなします。

パソコンも、この通り。
キーボードを全部記憶していて、ホームページも自分で更新しています。

塩谷さん
「人にすべて頼って何もしなくなってしまうと、その分早く年をとってしまうかなと心配があるので、もう少し1人暮らしをエンジョイしてみようかなと思っています」

■8歳で失明、将来は舞台で歌うことを夢見るも…

緑内障のため、生まれつき視力が弱かった塩谷さん。
8歳で完全に失明しました。

そのころ出会ったのが、歌でした。
熱心な盲学校の先生に教えられ、当時のラジオ番組の音楽会に3度出演。

盲目の琴の大家、宮城道雄さんの伴奏で歌う機会にも恵まれ、将来は舞台で歌うことを夢見ていました。
しかし、経済的な理由もあり、本格的に音楽を勉強することはかないませんでした。

塩谷さん
「音楽の道という選択肢はなかったので、当時はハリやマッサージのコースに行くのがほとんどでしたから、私も当然(ハリ・マッサージを学ぶ)理療科に行きました」

■一般の大学に進学し、卒業後はプログラマーに

盲学校を卒業すると、自分の可能性に挑戦したいという思いが強まります。
1年浪人して、一般の大学に入学。
そして大学卒業後に選んだのは、コンピューター会社への就職でした。
それまでいなかった、全盲のプログラマー第1号になろうと決意したのです。

塩谷さん
「できるのかどうか全くわからないんですけど、私が視覚障害者のプログラマーとしてパイオニアになればあとに続く人も出てきてくれる、だったらやってみる価値があるかなって思いました」

この頃、大学のときに知り合った治さんと結婚。
仕事と家庭の両立をめざすことにしました。

会社でまず取り組んだのは、点字の開発です。
それまでコンピューターの文字を目が不自由の人が読み解く方法はありませんでした。

塩谷さん
「これはドット、ピリオドの組み合わせだけを使って反対側に点字が出てる、そういうものなんですけど」

日本で初めてといわれる、コンピューターで打ち出した点字。
こうして自らが働ける環境を自らの手で切り開きながら、懸命に仕事をこなしました。

■子育てが一段落した42歳の時に再び転機が

しかし、まだまだ障害者が働く環境が整っていなかった時代。
結局、塩谷さんは家庭に入ることを選びました。

2人の子どもを育てる忙しい日々。
再び転機が訪れたのは、子育てが一段落した42歳の時でした。
仲間内の集まりで、たまたま歌っている姿を見た音楽大学の先生が、「本格的に歌を勉強しないか」と勧めてくれたのです。

子どもの頃からの夢に、一歩近づけるかもしれない。
一方で、40代でのスタート。躊躇する気持ちもありました。

塩谷さん
「私はずっと自己流ですけども歌ってきて、歌うことに憧れてきたので、他のものとは違う、歌は私にとって特別なものだったんです。この年で先生について習って、時間と労力の無駄に終わって上手にならなかったら、かえってショックを受けてしまうような気がしたんですね」

迷う背中を押してくれたのは、夫の治さんでした。
“たとえ上達しなくても、楽しければいいじゃないか”治さんの言葉に、気持ちが楽になったといいます。

初めて専門の先生について、一から学び始め。
しかし、年齢の壁は予想以上でした。

塩谷さん
「やっぱり少しも進歩しないし、先生から怒られるし、このまま続けてもなってまた思い出したら、長い間休んでしまったり、いろいろあって順調とはいえませんでした」

■50代でコンクールに入選、CDもリリース

くじけそうな気持ちが変わったのは、48歳の時。
コンクールに初めて出場したところ、いきなり一次予選を突破することができたのです。

そこで俄然やる気に。毎年コンクールに出続け、4度目でついに入選を果たしました。

塩谷さん
「まさかと思って涙ぐんでしまったんですけど、(参加者は)20代が一番多くて、私以外は芸大・音大出身者でした。そんなところに行けるなんて信じられなくて、家族もびっくりしました。そのとき51歳でした、私は」

その後も数々のコンクールで入賞。
音楽の殿堂・東京文化会館でも、リサイタルを開きました。

58歳でCDをリリース。60代に入ると多くのステージに立つ売れっ子に。
子どもの頃からの夢をかなえたのです。

■歌の道を誰よりも応援してくれた夫ががんに

しかし5年前、68歳で大きな試練が訪れます。
歌の道を誰よりも応援してくれていた治さんが、がんで倒れたのです。
すでにがんは進行していて、手の施しようがありませんでした。

塩谷さん
「治る見込みはないと宣告されて、ショックでどん底でしたね。もう晴天の霹靂(へきれき)で、しばらく何も手につかなくて、歌も歌えなくて、本当に自分でどうなるかと思ったくらいです」

できる限り、治さんのそばにいたい。塩谷さんは予定していたコンサートをキャンセルしようとしました。
しかし、思いとどまらせたのは、他でもない治さんでした。

塩谷さん
「夫は『絶対やめるな』と言っていたんですけど、だから自分がやめたら、かえって『自分のせいで辞めたのではないか』と思わせてしまうのはいけないと思って。歌う機会があれば、できるだけステージに立つようにしていました」

闘病生活は、2年で終わりを告げました。
葬儀で塩谷さんは、治さんが大好きだった「埴生(はにゅう)の宿」を歌って送り出しました。

塩谷さん
「もう本当にこれでいなくなってしまったという感じで、どうしようもない状態だったんですけれども、自分の体の半分がいなくなったみたいな感じで、非常にさみしい。考えてみれば、私くらいの年になると、(夫婦)どちらかが亡くなるのは普通のことなんですよね。だから普通のことが起こっただけだと自分に言い聞かせていました」

■年だからとあきらめないで挑戦してほしい

治さんが亡くなって3年。
癒えぬ思いと向き合いながら、塩谷さんはいまもステージに立ち続けています。

伴奏するのは、娘の多衣さんです。

♪埴生の宿も わが宿~
アンコールにいつも歌うのは、治さんとの思い出がつまった「埴生の宿」です。

来場客
「こっちのほうが勝手にじーんときて、涙が出た」
「いくつになっても、いい出会いと努力で、あんなふうになるんだなと思って」
「結婚や夫との別れ、いろんな人生を経て、それを歌の中で表現してくださるようで、すばらしいといつも思っています」

塩谷さん
「やりたいことがあったら、年だからとあきらめないで、やってみてだめかもしれないけれど、後で後悔しないように挑戦していただきたいと思います。私も歌えるところまで歌っていきたいと思います。それを亡き夫も望んでいると思います」

■今後の挑戦は「1日も長く歌い続けること」

(武内アナウンサー)
本当に豊かな歌声で、まさに人生の歌ですね。治さんはいなくなってしまいましたが、いまも一緒にいらっしゃるという感じが伝わってきました。

(本庄リポーター)
私も仕事を忘れて聴き入ってしまいました。
塩谷さんは、コンサートが終わるといつもロビーに出ていらっしゃって、そうするとファンの皆さんが集まってくるんですけれども、「塩谷さんの姿を見て、私ももう年だとあきらめていた資格試験に挑戦しました」とか、「昔好きだった絵をもう1回やってみることにしたよ」と報告してくれる方も多いそうなんです。

塩谷さんの今後の挑戦は、1日も長く歌い続けるということだそうです。
クラシックの歌手の場合はマイクを使いませんので、かなりの声量を維持しなければいけないということと、声も年々下がってきてしまうそうで、これをいちばん良い状態でキープするには、まだまだ訓練が必要だとおっしゃっていました。

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